優しい猛毒に侵されたような。
悲しい抱擁に包まれたような。
どれだけ、カッコつけて形容しようとも、今の気持ちに当てはまる言葉はなかった。
ただ、ひたすらに
「悲しい。」のだ。
「当たり前にあるもの」
ほど
「当たり前になくなる」のだ。
これは、悲しいさよならのお話。
あくまで、普遍的な別れの話。
とても退屈で、窮屈な終わりの話。
もう、どれほど時を遡れば、出会った頃の話になるだろうか。
振り返った時、
「とてもフワフワとした出会いだった。」
という僕と、
「とても衝撃的な出会いだった。」
という君。
同じ「出会った1日」の事を、僕らは振り返った時に、正反対の言葉を吐き出す。
そもそも、その時点で僕らは「合わなかった」のかもしれない。
食べ物の趣味も、まるで違う。
好きな季節も、夏と、冬。
育ちも、良いと、悪い。
背も、高いと、低い。
言い出せばキリがないほど、正反対の僕らだった。
ここまで合わないものか!と笑ったあと、
二人で一生懸命「合いそうな」お題を考え、せーので答えを言い合っても、確実に狙ったように反対の答えを出した。
その度に
「ほら。やっぱり。」
と笑う僕と
「まだ絶対に何か合うものがある!」
とムキになる君。
そんな太陽と月のように「合わない」僕らが、どういうわけか少しずつ身を寄せ会うようになり、気が付けば恋人になっていた。
いや、なってしまっていた。
ここまで正反対の僕らが、短い時間ではあれど、向き合い、愛しあえた理由。
それは、
「君が僕の好きなものを愛する努力を惜しまなかった」
からだ。
僕も君と同じように、君の好きなものを愛する努力をしていれば、こんな事を書くこともなかったのだろう。
君はとても、美味しそうにご飯を食べる人だった。
お腹が空くと、とてもわかりやすく機嫌を悪くした。
だから、なるべくそういう時は、僕は黙っていた。
触らぬ君に、祟りはないと思ったから。
ご飯を美味しそうに食べた後、
「さっきは不機嫌になっちゃってごめんね。」
と恥ずかしそうに謝る人だった。
大好きだった。
コメダ珈琲のピザトーストを、人類で1番美味しそうに食べる人だった。
それを半分、僕にくれて、僕が美味しそうに食べると、また人類で1番幸せそうな顔をする、とても優しい人だった。
いたずら好きの僕が、ちょっとしたドッキリを仕掛けたり、怒ったふりをすると、すぐに泣くような子だった。
不安になり泣き、ドッキリだとわかった後、安心して泣く。
とても感情の忙しい人だった。
あまり友達が多くなく、人間関係に悩む人だった。
ある日では職場の、ある日では友人の、対人関係の悩みをよく聞いた。
自分を押し殺して、事無きを得るタイプの君がどこか可愛そうだった。
でも、とても優しい人だった。
その場面場面で、やはり僕は正反対の意見や行動を取った。
合わせることも、寄り添うこともなかったのだ。
奇跡的に合った歯車は、徐々にズレを生み出す。
時間にすると約三年という、短くも長くもない時間を二人で過ごしたのちに、僕らの恋は終わった。
最後の夜、子供のように泣き噦る君。
初めて、僕も君の前で泣く。
嫌いになったわけでもなければ、他に好きな人が出来たわけでもない。
ただ、なんとなく、いくら目を細めようとも、度の強いメガネをかけようとも、二人が同じ温度で幸せを感じている未来が見えなかったのだ。
僕らの恋は、始まりにも終わりにも、大した理由を求める事はなかった。
今でもふと思い出す。
あの時、幾度となくあったであろう分岐点で、どの選択をするのが正解だっだのだろうか。
また、その場面場面で正解を勝ち取っていれば、また違った未来が生まれたのだろうか。
それとも少しのタイムラグが発生しただけで、結果は同じだったのだろうか。
もっと上手に愛せていたら。
もっと上手に不安を隠せていたら。
悲しみはいつも、過去からやってくる。
さよならはどう料理したって、悲しいのだ。
君と過ごした日々に、贖罪の心で向き合わぬ日が来た時、また君に会えたらと思う。
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